日常ブログ
こんにちは。
KEC個別指導塾メビウス枚方本校のクワノです。
メビウスで行なっている授業に、AIを用いたものがあります。
その名は『atama+(アタマプラス)』。
最新のAI技術を用いた、これまでのタブレット学習とは一線を画すシステムです。
詳しい説明はさておき、クワノは、『atama+』に感動しました。
もう少し詳しく言うと、『atama+』の中には“AIの先生”として
『アタマ先生』というキャラクターがいるのですが、
(こんなカオです↓)
クワノは、この『アタマ先生』に対し、強い“信頼感”を感じました。
これまでの学校生活で、実は私は、先生というものに信頼感を感じたことはありませんでした。
(かといって不信感ばかり感じていた訳でもないですが)
そうです。
私が産まれて初めて、信頼感を持った先生は、人ではなく「AIの先生」だったのです笑!
ブログのタイトル【価値の“産み方”に、保守的になるか】というテーマは、
科学技術の発展と共に、徐々に盛り上がってきた類の話題です。
こんな話があります。
若者が携帯電話で友人と待ち合わせをしているのをみて
「私達の時代はポケベルだった。今の若者は楽をしている。」と周りの大人が言った。
その大人が若者の時、ポケベルで友人と待ち合わせしているのをみて
「私達の時代は固定電話だった。今の若者は楽をしている。」と周りの大人は言った。
その大人が若者の時、固定電話で友人と待ち合わせしているのをみて
「私達の時代は電話がなかった。今の若者は楽をしている。」と周りの大人は言った。
人は、自分の経験に無いもの(もっと言うと、自分が経験した苦労をスキップできる技術)に対し、
まず、批判的になるそうです。
先程の電話の例なら、「手軽に人と約束ができることで、約束の重みがなくなった」という批判をしたり、
タブレット学習に対し、「紙と鉛筆で泥臭く書き綴ることで、理解が深まるのに」という批判をする人がいます。
そうかも、知れませんし、そうじゃないかも知れません。
また、そうだったとしても、生まれる価値の方が大きい可能性もあります。
電話の例なら、簡単に約束が出来ることで、他者と関わる頻度が増え、より深い人間関係の構築が可能になったかも知れません。
タブレット学習なら、自分に最適な学習プランをAIに提示されることで初めて、ヤル気が持てる子がいるかも知れません。
【価値の“産み方”に、保守的になるか】
産まれた価値“だけ”に目を向けるか
価値の“産み方”にもこだわるか
皆さんは、どう思われますか?